はじめに
これまでパートやアルバイトの働き方に大きな影響を与えてきた「年収106万円の壁」。
2025年5月に閣議決定された年金改革法案により、この“壁”がついに撤廃される方向となりました。
これに代わって新たに登場するのが「週20時間の壁」という基準です。
つまり、これまでの「年収ベース」ではなく、「労働時間ベース」で社会保険の加入義務が決まる時代になります。
本記事では、この制度改正の背景と具体的な内容、
そして中小企業経営者が今から準備しておくべき実務対応について、わかりやすく解説します。
106万円の壁とは?なぜ撤廃されるのか
そもそも「106万円の壁」とは
「年収106万円の壁」とは、
パートやアルバイトが年収106万円を超えると社会保険(健康保険・厚生年金)に加入しなければならないという制度です。
ただし、この対象は以下のような条件をすべて満たす人に限られていました。
〇 年収106万円以上(月額8.8万円以上)
〇 週20時間以上勤務
〇 勤務先の従業員数が501人以上(企業規模要件)
〇 学生でない
この「企業規模要件」や「収入基準」が複雑でわかりにくく、
現場では「私は入らなくていいの?」「扶養を超えたらどうなるの?」という混乱が続いていました。
撤廃の理由:誰もが社会保険に加入できる仕組みへ
厚生労働省が今回の制度改革で目指しているのは、
「すべての働く人が社会保険に加入できる社会」 です。
つまり、「年収が少ないから社会保険に入れない」という格差をなくし、
非正規労働者も正社員と同様に、医療・年金の保障を受けられるようにするという考え方です。
そのために、賃金要件や企業規模要件を撤廃し、
勤務時間だけでシンプルに判断できる仕組みへと移行します。
新制度のポイント:「週20時間の壁」とは
基本ルール
新制度では、週の所定労働時間が20時間以上であれば、
企業規模や年収に関係なく社会保険に加入することになります。
〇 週20時間以上働く
〇 学生でない
〇 雇用期間が2か月以上見込まれる
この3条件を満たせば、社会保険(健康保険・厚生年金)への加入が義務化されます。
具体例で考える
- 時給1,000円 × 週20時間 × 4.3週 = 月8万6,000円
→ これまでは106万円未満なので加入不要でしたが、今後は社会保険に加入。 - 時給1,300円 × 週19.5時間 × 4.3週 = 月10万9,000円
→ 収入が多くても「週20時間未満」なので加入不要。
このように、今後は「働く時間」が基準であり、収入の多寡は関係なくなる点が大きな変化です。
施行時期と段階的拡大
改正法は2025年から順次施行され、
今後10年をかけてすべての企業へと段階的に拡大していきます。
〇 2027年10月:従業員36人以上の企業が対象
〇 2035年までに企業規模要件を完全撤廃
個人事業主の職場についても、2029年10月から全業種に拡大される予定です。
(ただし、既存の事業所は当面適用外)
経営者が知っておくべき「社会保険料負担」の影響
会社と従業員、双方に負担が発生
社会保険に加入すると、
健康保険料・厚生年金保険料を会社と従業員で折半して負担します。
そのため、会社側にとっては「パート・アルバイトの社会保険料負担分」が新たに発生します。
一方、従業員側も給与から保険料が天引きされるため、手取りが減少します。
手取り減少の実態
たとえば、週20時間勤務・年収106万円のパート従業員の場合、
社会保険に加入すると手取りが年間で約15.7万円減少します。
一方で、将来もらえる年金額は年額約5,700円増えるため、
「今の手取り」か「将来の保障」かをどう考えるかがポイントとなります。
元を取るには?
単純計算で、年金保険料だけであれば約17年間年金を受け取れば元が取れます。
健康保険料を含めると約28年(=65歳から受給開始として93歳)でようやくプラスになります。
つまり、「長く生きれば得、短期的には損」という構造です。
高齢まで働く前提の人にはメリットがある一方、
「今の生活費を重視したい」人には負担感が大きい制度でもあります。
企業が準備すべき実務対応
① 労働時間管理の厳格化
今後は「週20時間」を超えるかどうかが加入の分岐点となるため、
労働時間の管理体制を明確にすることが必須です。
契約書・シフト表・タイムカードなどを基に、
週単位の労働時間を常に確認できる体制を整えましょう。
「残業時間は含まれない」ため、契約上の「所定労働時間」で判定される点にも注意が必要です。
② 人件費シミュレーションの実施
社会保険加入者が増えると、会社の負担も確実に増加します。
例えば、パート1人あたり年間15〜20万円の社会保険料負担増が見込まれます。
そのため、事前に社会保険料の試算表を作成し、採用・契約の設計を見直すことが重要です。
「週19.5時間に抑える契約」といった工夫も検討されるでしょう。
③ 複業者・短時間労働者の管理
ダブルワークやトリプルワークをしている従業員の場合、
勤務先ごとに20時間未満であれば社会保険の加入対象外となります。
ただし、今後は厚生労働省が「合算ルール」への移行を検討しており、
複数の勤務時間を合計して判定する制度になる可能性もあります。
④ コミュニケーションと説明責任
従業員にとっては、「手取りが減るのに加入義務が発生する」という制度改正です。
そのため、経営者は単に「ルールだから加入して」と伝えるのではなく、
- 将来の年金保障が手厚くなる
- 病気・けが・出産時の給付が受けられる
といったメリットも丁寧に説明することが大切です。
社内での説明資料やQ&Aを整備しておくとスムーズです。
今後の見通しと注意点
施行時期と賃金の関係
法改正の施行は、「全国の最低賃金が1,016円以上になった段階」で実施される見込みです。
現在、最低賃金は平均950円台ですが、毎年40〜50円のペースで上昇しています。
このまま進めば、2026年頃には全国的に1,016円を突破し、
早ければ2026〜2027年に制度が本格スタートする可能性があります。
企業規模要件の撤廃スケジュール
今後10年かけて、社会保険の適用対象は段階的に中小企業にも拡大されます。
| 年度 | 対象企業規模 |
|---|---|
| 2025年 | 501人以上 |
| 2027年 | 36人以上 |
| 2030年以降 | 段階的拡大 |
| 2035年 | すべての企業対象 |
個人事業所も2029年以降に対象が拡大するため、
小規模経営者も「自分には関係ない」とは言えなくなります。
まとめ:これからの労務管理は“時間”が主軸になる
これまで「年収106万円の壁」で考えていた社会保険制度は、
今後「週20時間の壁」へとシフトします。
この変更により、
- 非正規社員の社会保険加入が大幅に拡大
- 企業側の人件費負担が増加
- 労働時間管理の厳密化が不可欠
といった現実が待っています。
短期的には経営負担が増しますが、
長期的にはすべての働く人が安心して働ける仕組みづくりにつながる改革です。
経営者は今のうちから「人件費の見直し」「労働時間の調整」「制度説明の準備」を進め、
2026年以降の制度移行に備えておくことが重要です。







